―春 side 蛍―

すっかり雪が融けたその日、僕は神社にお参りにいった。
「白玉が立派なお馬さんになりますように」
何日か前に生まれた真っ白な仔馬。父上が僕にくださったから、大きくなって一緒に出掛けるのが楽しみなのだ。
「ごほっごほっ」
ここまで登ってくるのに疲れて咳が出る。僕はいつもこうだ。父上も兄上も、体が弱い僕とは遊んでくださらない。馬の世話なら家の敷地でできるから、白玉をくれたのだ。

「あれ?」
神社の境内を見回すと、木の根元に女の子が座っていた。
「どうしたの?迷子?」
話しかけると、びくっとされる。
「......迷子、じゃない」
「そっかぁ。僕は蛍三郎(けいざぶろう)。君は?」
「知らない」
「お名前、ないの?」
「たぶん、ない」
「そっかぁ」
父上は言っていた。いろんな境遇の人がいるから、それを常に忘れちゃいけないって。
「ねぇ、よかったら一緒にふきのとうでも採らない?母上のお土産に持っていきたいんだ」
「......山から出なければいいよ」
「やった!でも、お名前がないと一緒に遊ぶのは不便だね」
僕は考えた。白玉には、真っ白な馬だから白玉と名前をつけたけど、さすがに人間の名前はもう少し考えたほうがいいと思う。僕は母さんが産気づいたのが蛍の舞う夜だったから蛍三郎。
「白山姫神社は、菊理媛尊をお祀りしてるんだって。ここで出会ったから、菊ちゃんって呼んでもいい?」
「菊......」
「秋に咲く黄色いお花だよ」
「......見たことあるかも」
「うん!じゃあ菊ちゃん、あっちでふきのとうを採ろう!」

ふきのとうを採って、菊ちゃんにまたねと言って家に帰った。
「蛍、泥だらけでどうしたの!?」
母上は驚いて、すぐにばあやにお湯を用意させた。
「ふきのとうを採ってきたんだ」
「こんなにたくさん、一人で採れたの?」
「ううん。菊理媛と一緒だったんだよ」
「え......?」

母上はもっと驚いたけど、僕は嘘は言ってない。
だって菊ちゃんは、病気で寝てばかりの僕に負けないぐらい色が白くて、黒い髪が艶々で、本当に女神様みたいだったんだ。


―春 side 菊―

冬以外は嫌いだった。
おばあちゃんは朝早くにわたしを家の外に出して、山かお堂に籠って修行をしなさいって言う。
冬はさすがに寒すぎて、死なれちゃ困るからって家にいれるけど。
お父さんは知らない、お母さんは私を置いて出て行った。
おばあちゃんは私には「才能」があるって言う。
だからお母さんは私を置いて、おばあちゃんの元で修行させるんだって。

「もう雪も融けたから」
今日も外に出されて、でも修行なんて何をしたらいいかもわからなくて、神社でぼーっとしていた。

「菊ちゃんって呼んでもいい?」
集落の他の子どもたちとは違う、私と同じぐらい白い肌で、その子は名前をくれた。

「僕は蛍三郎。こうやって書くんだよ」
枝で地面に書いてくれた。
「これはね、ホタルって読むんだ。夏にいる蛍、わかる?」
「うん」
字はよくわからなかったけど、夜にきらきら光る蛍は知っていた。
「あ、ちょうちょ」
ひらひらと、ちょうちょがお花に止まる。
菊はお花の名前だった蛍三郎が教えてくれた。
蛍三郎も、ひとりぼっちのお花のわたしのところに、こうやってひらひらやってきてくれたんだ。

―春 side 父―

蛍三郎の様子がおかしい、と妻に相談されたのは一昨日のことだった。
蛍三郎がここ数日「菊理媛と遊んでいる」という。
家の者たちに調べさせると、近くの集落で祖母と暮らす女の子と会っていることがわかった。
「名前など、寺にも届け出はないようで......。ただ、祖母が周囲に『あの子はゴミソの素質があるから修行させている』と話しています。修行と称して、山や神社に籠らせているようで、蛍三郎様もそうした時に出会ったのかと」
「......そうか、わかった」
「蛍三郎様は『菊』と呼んでいるようですが、どうやらその子の本当の名でもないようで。菊理媛と遊んでいる、という話から、蛍三郎様が戯れにおつけになったのかと」
「そうかもしれない。あの子は体が弱く本ばかり読んでいてその分博識だ」
「会うのをやめさせますか?」
「いや、いいだろう。あの子は体が弱く、大人にはなれまい。せめて生きているうちは、自由にさせてやりたい」

部下を下がらせ、寝室に向かう。
部屋に妻の姿はなかった。今夜は冷える。こういう日は蛍三郎の咳が止まらなくなるので、看病をしに行ったのだろう。
「蛍なんて、名前につけるんじゃなかった......」
不吉なものなどを名前につけることで逆に魔除けにすることはあるが、あの子があんなに病弱だと知ったなら、すぐに儚くなってしまうような蛍の字はつけなかったのに。

蛍は秋まで生きられない。ただ、菊の名前を持つ不思議な少女と一緒にいれば、あるいは。
あの子は長く生きられないとは、自分に言い聞かせるように、諦めさせるように言ってきた言葉だ。
それでもおとぎ話のような奇跡が起こることを、やはり父親としては願っていた。

―初夏 side 菊―

「おばあちゃんが、私を家から追い出すの」
どうして菊ちゃんはいつもお外にいるの?と聞かれて正直に答えた。
「私には素質があるから、気に入られるように修行しなさいって」
「そうかぁ......。誰にだってお役目はあるものね」
「お役目、なのかな......」
蛍三郎が良い家の子なのは最初からわかっていた。そういう子が言う「お役目」と、私が置かれた状況は違う気がする。
「父上もよく、不思議な力がある人のところまで行って、助言をもらっているよ」
「助言......」
「今年は暑いとか、雨が多いとか、雪が多いとか。畑をやるのに大事なんだって」
「そう......」
これまで修行はイヤなものだった。
でももし、修行をがんばれば蛍三郎の役に立てるとしたら?
修行をがんばったほうがいいかもしれない。
「修行、がんばってみようかな」
「うん!やってみなよ!」
蛍三郎が笑顔で応援してくれるなら、がんばれる気がする。
「あ」
突然、蛍三郎が笑顔を曇らせた。
「どうかした?」
「修行はがんばってほしいけど、僕と一緒に宵宮祭りは行ってほしい。ちょうどそこの河原で、蛍もたくさん見れるんだよ!」
「もちろん」
「じゃあ一緒に行こう!約束だよ!」
「うん」
「あ、でも......」
蛍三郎は珍しくもじもじと言い出しにくそうにした。
「お祭りだけじゃなくて、向こうの山で菊がきれいに咲いたら一緒に見に行きたいし、雪でかまくらを作って遊んだりもしたい」
「ふふっ」
「あ、笑った」
「うん。同じことを思ってたから」
「やった!これも約束だね!」


蛍三郎と約束して家に帰る。

最近は不思議な夢をよく見るなぁと思っていた。
夢の中に白い馬が出てきて、一緒に遊んでくれる。
(蛍三郎も、こんな優しい馬を飼ってるのかも......)
「あなたの名前は?私の友達は白玉っていう名前の馬を飼っているの」
馬は前足で何か文字のようなものを書いた。私にはまだ読めない字。
今度蛍三郎に聞いてみよう......。


―晩夏 side 蛍―

「お熱が下がるまでじっとしていてね」
母上は心配そうに僕の顔を見る。
有名な先生が煎じたらしい薬湯も、ただ苦いだけで全然元気にならない。
(もうずっと、菊ちゃんに会えてない)
これまでも会えないことはあったけれど、こんなに長い間会えないのは初めてだ。
(蛍を見に行く約束、したのに......)
優しい菊ちゃんは、ずっとあの河原で待っているかもしれない。
(菊ちゃんはお熱、出してないといいな......)
ただひたすらに眠い。
(今日は、何日だろう......)

―晩夏 side 菊―

蛍三郎が来なくなって何日か経っていた。
最後に会った時に咳をしていたし、体調が悪いのかもしれない。
でも明日は約束したお祭りの日だ。
「あなたが菊さんですね」
神社で足をぶらぶらさせていると、声をかけられた。
「蛍三郎様の家の者です」
「蛍三郎の......」
「蛍三郎様は体調を崩されて......。明日のお祭りも行けなくて申し訳ないと言付かりました」
「ありがとうございます。わかりました」
やっぱり体調が悪いのだ。
「治ったらまた遊ぼうって、伝えてもらってもいいですか?」
「......わかりました。お伝えしますね」
その人の表情に、いやな予感がした。

いやな予感が消えないまま、家に帰る。
夜布団に入ると、また夢にお馬さんが出てきた。
「ねぇ、お馬さん。蛍三郎、もしかしてとっても悪いのかな?」
お馬さんはそうだよ、と言う感じで頷いた。
「そんな、どうしよう......」
困り果てていると、お馬さんはついておいで、と言う風に歩き出す。
ついていくと、神社のある山の中、たまにおばあちゃんに連れてこられるお堂の前に来ていた。
「ここ、お堂......?」
おばあちゃんから、前にここで修行をした人がいると聞かされていた。
「ここでお祈りすれば、蛍三郎は助けられる?」
お馬さんは今度は頷かなかった。絶対に助けられるわけじゃないんだなと思った。
でも、もしちょっとでも可能性があるなら......。
「明日からここでお祈りする。蛍三郎がよくなるまでおうちには戻らない」

―晩夏 side 父―

日に日に蛍三郎は弱っていった。
今年の春はいつまでも寒く、夏は急に耐えきれないほど暑くなった。
体の弱いあの子には辛い年だったのだろう。
寝ている部屋の縁側に白玉を連れてきて見せたが、もはや見えているのかどうか。
蛍の字を持つあの子は、夏と共に去っていってしまうのかもしれない。

―晩夏 side 菊―

夢を見たあの日から、ずっとお堂でお祈りしていた。
おばあちゃんは「ようやくやる気になった」と喜んで、日に一度、水とご飯をくれるけれど、お腹は空かなかった。
「神様、仏様、なんでもいい。蛍三郎を助けて」
お祈りの言葉も何も知らない。でももし私に素質が本当にあるのなら、願いは届くはず。
「お願い。蛍三郎との約束を守らせてください」
秋になったら菊を見て、冬になったら雪で遊ぶの。
「お願いします。お願いします......」
これで本当に届くのかはわからない。まじめに修行をしていればよかった。
「お願いします。お願いします。どうかどうか。私のことはどうでもいいから、蛍三郎の願いを叶えてください」
秋が来たらやりたいこと、冬になったらやりたいこと、大きくなったら白玉という馬に乗って旅行をしてみたいこと......。
蛍三郎にはたくさんやりたいことがあるのに。

―初秋 side 父―

結局夏を越せずに、蛍三郎は儚くなった。
家の者たちは泣き通して葬儀を終えた。
「旦那様、神社の方が......」

白山姫神社の神主と巫女、そして見かけない老婆が来ていた。
「こちらは、蛍三郎さんが一緒に遊んでいた女の子のおばあ様です」
神主にそう紹介されて思い出した。「菊ちゃん」と蛍三郎が呼んでいた子の祖母か。
「生前、蛍三郎がお世話になりました」
「こちらこそ、生前孫がお世話になりました」
「え......」
驚いていると神主さんが口を開く。
「蛍三郎さんの快癒を願い、お堂に籠っていたのですが、寝食を忘れていたようで......。ちょうど蛍三郎さんが亡くなったのと同じ頃......」
「そうでしたか......」
蛍三郎と関わったことで亡くなってしまったのか。とするとこのご家族はこちらを詰りに来たのだろうか。
「そのあと、この巫女が夢を見まして」
「夢?」
聞き返すと、巫女さんが頷いた。
「はい。夢の中で白馬が言うのです。あの少女の思いは強いから、この先この家を守るために、予言の力を持つ少女がどの時代も現れるだろうと」

かみさま かみさま どうか どうか
いつまでも あのひとの力になれますように

聞いたこともない少女の声が聞こえたような気がした。

議事録③